教えて!痛みの達人
山本 博さん / アーチェリー選手 インタビュー
痛みがあるのは、生きている証。
過去最高を超えるために、今日も僕は矢を放つ
アーチェリー選手としてオリンピックに5回出場し、大学在学中に銅メダル、41歳で銀メダルを獲得するなど、日本のアーチェリー界を牽引してきた山本博選手。さまざまな痛みや病を経験しながらも復活を果たし、57歳の今もなお現役で活躍しています。
「高校時代からほぼ毎日、全身筋肉痛。ケガとの闘いは40代から」という山本選手。長い競技生活で得た、痛みケアの秘訣とは? 痛みとの上手な向き合い方とは? 山本選手が教鞭をとる日本体育大学のアーチェリー練習場で、教えていただきました。
- 山本 博 (やまもと・ひろし)さん
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1962年生まれ。神奈川県出身。
保土ヶ谷中学校1年からアーチェリーを始め、3年生で全日本アーチェリー選手権大会出場。学生時代はインターハイ3連覇、インカレ4連覇。日本体育大学在学中に、ロサンゼルス五輪で銅メダルを獲得。その後、国内外の大会で好成績を収める。
2004年のアテネ五輪では銀メダルを獲得。オリンピック5大会に出場。現在も現役選手として活躍するほか、日本体育大学教授 博士(医学)、東京都体育協会会長、東京オリンピック・パラリンピック競技委員会顧問会議顧問と多方面でも活躍する。
「量」と「質」のバランスを高めた先に、勝利はある
3年後や5年後のビジョンを明確にもっている人なんて、そうそういないでしょう。そんな先のことばかり考えると、気が遠くなってしまう。僕もそうです。今日、最高のショットを射ちたい。次の一射で自己ベストを超えたい。ただそれが楽しみで、45年間アーチェリーを続けているんです。
中学の部活でアーチェリーに出会ったときの衝撃は、今でも鮮明に覚えています。「なんてすごい世界なんだ!」と心が沸き立った。ただしばらくすると、自分の下手さ加減が見えてきて、悔しくて、悔しくて…。負けず嫌いなんですね。「こんなに下手なままじゃ、やめられない」と練習に没頭するうち、どんどんハマっていきました。
大学在学中のロサンゼルス五輪では銅メダルを、41歳のときのアテネ五輪では銀メダルを獲ることができました。なぜ二つの大会でメダルを獲得することができたのか? それは、練習の「量」に加えて、「質」にも気を抜かなかったから。常に自分を客観視し、「もっと効果的な方法はないか?」「次はこれを試してみよう」と、量と質のバランスを高めていくための努力を怠らなかったからだと思います。
痛みケアのコツは、自分に合う方法を探し続けること
全身の筋肉痛、首まわりの痛み、首から肩にかけて伸びる僧帽筋(そうぼうきん)の痛み…。高校に入って肩こりを感じるようになって以来、痛みから解放されて、朝を爽快に迎えるなんてことは一度もありません。アーチェリーは、弓を目一杯の力で引き、70m先の的に向かって矢を放つという動作をひたすら繰り返すスポーツです。いつも同じ筋肉を使うからそこだけどんどん摩耗して、首から肩は慢性的な筋肉痛。アーチェリー選手の宿命ですね。
筋肉疲労の痛みと上手につき合うために、鍼治療やマッサージに通ったり、市販の温湿布と冷湿布を使い分けて貼るようにしたり、これまであらゆる工夫を試してきました。痛みのケアで最も大切なのは、自分に合う最良の方法を諦めずに探し続けること。自分の体のことは、結局自分にしかわからない。僕自身、鍼やマッサージを何十軒も試してみて、ようやく「ここ」というところを見つけました。
数年前に右肩の大手術。半年間の休養を経て、復活を果たす
実は僕、40代に入るまで、大きなケガや病気を経験したことがなかったんです。こんなに体を酷使していたのに奇跡的ですよね。ところが、40歳を過ぎたころから、身体の色々なところにガタが出てくるようになりました。極めつけは、2016年に受けた右肩の再生手術。肩甲骨と上腕骨をつなぐ棘上筋(きょくじょうきん)が、断裂してしまったんです。最初はただの筋肉痛だと思っていたら、年を追うごとに違和感が増して、筋肉が断裂していることが判明しました。
手術後は専用の装具をつけて、3カ月間、一切肩を動かさない生活に突入しました。当然、プレーもお預けです。復帰を目指して、術後4カ月目からリハビリを開始。ガチガチに固まった部分を動かすわけだから、かなりつらかった。でも、不思議と気持ちがふさぎ込むことはありませんでしたね。「治ったらきっと、今よりもっといいプレーができる」「その先には東京五輪が待っている」と、視線はまっすぐに未来を向いていましたから。
精神が充実していると、筋肉も伸びやかに。
心の影響は計り知れない
45年間続けてきて、アーチェリーはつくづくメンタルなスポーツだと実感しますね。技術や体力ももちろん大切ですが、わずかな気の迷いが結果を大きく左右する。アーチェリーではね、矢を放つ前に、弓を最後の1mmまで引き切れるかどうかが勝敗を分けるんです。そのとき精神が充実していないと、筋肉が萎縮して最後の1mmまで引くことができない。どんなに筋肉のコンディションを整えて臨んでも、「きっと当たる」と信じることができなければ、筋肉は柔らかくなってくれないんです。心が体に及ぼす影響って、本当にすごいなと感じます。
先日、東京五輪日本代表の選考に落ちてしまってね。けれど、その後もいつも通り練習を続けて、週末には各地の試合に出場する毎日を送っています。「なぜいつまでもモチベーションを維持できるの?」とよく聞かれますが、それは決して、僕が特別な存在だからではありません。アーチェリーを通して、未知の領域に触れてみたい、これまでの自分を超え、さらなる高みへと上りたい。ただその想いで走り続けているだけなんです。
振り返ると45年間、痛みとともに生きてきました。僕にとって痛みとは、生きている証。これだけ長くつき合ってきたから、ある日突然痛みがなくなったら、かえって不安でしょうね。57歳、満身創痍の現役選手が、20〜30代の若手選手に挑み続けている――。こんな僕の姿を見た人が、「私も自分の痛みと仲良くやっていこう」「諦めずにもう一歩前進してみよう」と元気になってくれたら、これ以上の喜びはありません。
お気に入りのケア用品を携えて、世界中どこへでも
山本選手のお気に入りのケア用品は、大学の生徒に教えてもらった低周波治療器だそう。「僕が20代のころ使っていたものと比べたら、格段に機能が進化している」と絶賛です。もう一つは、ヒーター内蔵ベスト。「アーチェリー選手にとって、冷えは大敵。体が冷えるとケガをしやすくなる上、ベストなパフォーマンスも出せなくなる。僕の必需品だね」
その豪胆な話しぶりとは対照的に、痛みやケガと向き合う姿勢は緻密で論理的。次々と繰り出される豊かな知識は、2015年、弘前大学大学院での医学博士号取得によって、いっそう厚みを増したようです。長い競技生活で培われた超人的な技術と集中力は、自身が練り上げたコンディショニング哲学の賜物であると実感しました。
体に痛みがあると、気持ちまでふさぎがちですよね。そんなとき、痛みとの向き合い方をほんのちょっと変えてみると、心にゆとりが生まれるかもしれません。山本選手のお話を参考に、ぜひあなたも自分らしい痛みとのつき合い方を見つけていきませんか?